漱石「夢十夜」より。孤独な時代への処方箋。

ーーー戦争。人間どうしが殺し合いをするなんて場面は、今生きている私たちにはとても考えられない。しかし、むしろ現代の日本の方が特殊なのではないか。有史以来戦争や争いごとが絶えたことはない。明日も生きていられる保証がある時なんて、一秒たりとも存在しなかったはず。

だとしても、その中で生きていた人々は皆、どうしようもないくらい残虐で思いやりがなかったのだろうか。そんなはずはない。彼らは果たして何を感じて生きていたのだろう。どういう絆で結ばれていたのだろう。

孤独な時代への処方箋。漱石夢十夜 第九夜」より。ーーー

夢十夜 第九夜」より

周りを見てみると、どうも侍の時代の話らしい。世の中がなんとなくざわつき始めている。今にも戦がおこりそうだ。それでいて、我が家の中はしんとして静かである。

家には若い母と3つになる子どもがいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。草鞋を履いて、頭巾を被って、勝手口から出ていった。

父はそれっきり帰ってこなかった。母は毎日三つになる子どもに「お父様は?」と聞いている。子どもは何とも言わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつお帰り?」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして、「今にお帰り」という言葉を何べんとなく繰り返して教えた。けれども子供は、「今に」だけを覚えたのみだった。

夜になって、あたりが静まると、母は短刀を腰に差して子供を背中に背負ってそっと出ていく。母はいつまでも草履を履いていた。子どもはこの草履をの音を聞きながら、母の背中で安心して眠ってしまうことがあった。

だらだらとした長い坂を下ると、古い神社があった。社殿には八幡宮という額がかかっている。

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鳥居をくぐると杉の梢でいつもフクロウが鳴いている。そして、夜の神社の闇の中から、冷飯草履の音がぴちゃぴちゃした後、鈴が鳴らされ、柏手の音がする。たいていはこの時、フクロウは急に鳴かなくなる。それから母は、一心不乱に夫の無事を祈る。母の考えでは、夫が侍であるから、弓矢の神さまのもとへ、こうやってしっかりと願をかけたら、よもや聞かれぬことはないだろうと一途に思いつめている。

子どもは急に泣き出すことがよくある。その時母は口の中で何かを祈りながら、背中を振ってあやそうとする。するとうまく泣き止むこともある。また、ますますはげしく泣きたてることもある。いずれにしても母は容易には帰らない。

一通り夫の身の上を祈ってしまうと、母は子供を欄干のそばにおろして、「いい子だから、少しの間、待っておいでよ」ときっと自分の頬を子供にすりつける。それから段々を降りてきて、二十間の敷石を行ったり来たりしてお百度を踏む。

子どもは暗闇の中で神社の境内の上を這いまわっている。そういう時は母にとってはなはだ楽な夜である。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。お百度を踏む足が速くなる。息が切れる。

こういう風に、幾晩となく母が気をもんで、夜も眠らずに心配していたとうの父は、とうに流浪の武士によって殺されていたのである。

こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いた。

(夏目漱石 「夢十夜 第九夜」より)

 

「孤独」と「争乱」は表裏一体

先日も記事を書いた、アランの「幸福論」を読み終わったとき、次のような言葉がとても印象に残ったのを今でも憶えています。

「戦争の中でこそ、真の美しい思いやりや絆が存在する。」

 

世の中が残虐で、夫も妻も子供でさえも、明日も生きていられる保証はまったくない、という時代。

そんな時代に生きるということは、いったいどういうことだったのでしょう。

私たちは運良くもそういう時代に生まれてこなかった。だから、その時代の人々が感じていたことを容易に想像することはできません。

しかし、もし目の前の相手も自分も、「明日本当に死ぬかもしれない。次の瞬間生きている保証はない。」というような世界に生きているとしたら。

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想像してみましょう。

周りの人々への態度が変わってくるような気がしてきませんか。

見ず知らずの人間に対する警戒心はめちゃくちゃに強くなるでしょう。そう簡単に自分の目の前に現れた人間を信用しなくなるでしょう。当たり前です。もし騙されたら、命を奪われたり暴力を受けたり、取り返しのつかないことになる危険性があるわけです。

しかし、その一方で、長年連れ添っているようなかかわりの深い人をものすごく大切にするのではないでしょうか。

なぜなら、そういう絆の強い関係性は貴重だからです。誰がいつ死んでもおかしくない。誰がいつだれかに騙されてもおかしくない。そういう残酷な世で生きていくとしたら、少数の信用できる人間同士で強いきずなを結んで、その中で助け合って生きていくしかないからです。

私たちは、戦争のこととなると何でもかんでも否定しがちですし、実際戦争や争いごとは愚かで避けるべきことなのは間違いないですが、その真っ最中で生きていた人々が、仲間同士で築き合っていた絆や思いやりについては、もしかしたら現代のそれよりも深く優しいモノだったのかもしれない、と考えるのは間違っているでしょうか。

漱石の見た夢の中で、「母」は夫のために夜も寝ないでお百度を踏みます。現代ではとっても考えられません。結婚した夫婦の1/3が離婚するような昨今です。

きっと、当時はそれほど母にとって夫は貴重な存在だったのです。自分も子供も明日死ぬかもわからない様な世界の中で、本当に信頼できる人だったのです。

現代の妻にとっては、もし目の前の夫がいなくなったとしても、いくらでも魅力的な「代わり」がいるという確信があるのかもしれません。(夫についても同じです。)だからこそ、今目の前にいる人をとても大切に思う、という感情が失われつつあるのではないかという気がします。

世の中が平和であればあるほど、孤独な人は増えていくのかもしれません。

 

夢十夜

夢十夜

 
夢十夜・草枕 (集英社文庫)

夢十夜・草枕 (集英社文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 発売日: 1992/12/15
  • メディア: 文庫