ーーー中学校の国語の授業で、誰もが深く印象に残っている、あの「クジャクヤママユ」の話。あの物語を書いた作家が、ヘルマン・ヘッセである。
「クジャクヤママユ」を盗んだあの主人公のように、不安定な思春期の真っただ中、誰しも一度は「悪」に触れたことがあるのではないか。スーパーで盗んだチョコ1個。同級生たちと一緒にいじめた一人の少女。道端で懸命に餌を運んでいるアリを理由もなく踏み殺した、15歳のある日の夕暮れ。
父と母に守られ、きわめて恵まれた「やさしい世界」で育ってきたある思春期の少年は、卵から孵るひなのように「もうひとつの世界」を経験しなければならなかった。苦しみながら大きく成長しようとする少年の心の内をありありと描いた、ヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」を数日かけて追っていきます。ーーー
ーヘッセ「デミアン」より。とある少年のお話ー
仲間どうしで「悪」を自慢しあう、というのが当時の僕たちの習慣だった。
ある日、いつもの橋げたの下に集まってきたのは、僕と、仲間の中で一番強い存在であり家柄も悪く体格のいいフランツ・クロオマア少年と、その取り巻きたちだった。
少年たちはめいめい自分の武勇伝を語った。とうとう僕の番になったが、僕は相変わらず弱虫だったので、語れるような「ワルイ」ことは何一つやらかしたことがなかったのである。
しかし何か言わなければ、僕は仲間にも入れてもらえないし、明日からは弱虫として大いに軽蔑されるだろう。
「俺は・・・、あの果樹園にあるリンゴの木から、リンゴの実を盗んでやったのさ。」
僕は自分の悪事をでっち上げた。
フランツ・クロオマア少年は、細めた目の中から、突き刺すように僕をじっと見つめた。そして、脅すような声でこう聞いた。
「それ、ほんとかい?」
いまさら引き下がることはできまい。僕は本当だ、と言い張った。
「じゃ、こう言うんだ。天地神明にちかって、とね。」
僕は軽々しく言った。「天地神明にちかって。」
だがその後、地獄が訪れた。
クロオマア少年は、帰り道、意気揚々と家路をたどっている僕の肩をつかんで呼び止めたのだった。
「なんだい。」
「なあ、坊や。あの果樹園が誰のものだか、俺が教えてやってもいいぞ。リンゴが盗まれているのを、俺はだいぶ前からもう知っている。そして、誰が果物を盗んだのか知らせることができるやつには、誰にでも二マルクやる、と主人が言っているのも、俺は知っているのさ。」
「まさか、君はあいつに何もいいやしないだろうね。」
すでに無駄だと感じていたが、一応、彼の心に訴えてみた。
「なんにもいわない?」クロオマアは笑った。「おい、お前、いったい君は俺が贋金づくりか何かで二マルクを作れるとでも思っているのかい。俺は貧乏人だ。俺には、お前みたいに金持ちの親父がいないのさ。だから二マルク稼げる時にゃ、稼がなきゃね。もしかしたら、もっと多いかもしれない。」
涙がこみあげてきた。もはや取り返しがつかない。
僕は自分の家へ帰り、上へのぼっていくことができなかった。僕の生活は破壊されてしまったのだ。僕は逃げ出すことを、そして二度と再び帰ってこないか、または身投げをすることを考えた。(中略)僕は放蕩息子が、昔ながらのふるさとの部屋の、ながめやにおいを迎えるようにそれらすべてを哀願しながら、感謝しながらむかえたのである。しかしそれらすべては、もはや僕のものではなかった。それらすべては、明るい父の世界、母の世界なのに、僕は深く、やましい気持ちで見知らぬ流れの中へ沈み、冒険と罪悪に巻き込まれ、敵に脅かされ、危険と不安と汚辱に満ちている。(中略)何よりもまず感じたのは、自分の道が今やますます下り坂になって、やみの中へ突き進んでいく、という確かさであった。自分の過ちから、新しい過ちが生じてくるに違いないこと、自分が兄弟のところに姿を見せたり、両親に挨拶したり接吻したりするのは「いつわりだ」ということ、自分はある運命と秘密を持ち歩きながら、それを心の中にかくしている、ということを、僕は明らかに自覚していたのである。(ヘルマン・ヘッセ「デミアン」より)
だが、夕べになって、父がいつもと変わらない調子で僕にキスをしてくれた時、僕の中で妙に新しい感情がきらめいたのだった。それは、恐るべき感情だった。
僕は一瞬、父の無知に対して、一種の軽蔑を感じたのである。父の冗談や、笑い声が僕にはくだらなく思えた。まるで自分が殺人を告白すべきなのに、巻きパン一つ盗んだことで尋問されている、そういう犯罪者になったような気がしたのだ。
(続く)
ー解説ー
「大人になる」ってどういうことなんだろう?
学校の先生や親たちは、自分たちの言うことをよく聞く子供を褒めたりします。
しかし、「大人たちの言うことをよく聞く」というのは、ほとんどの場合「何もしない」ということとほとんど同じ意味です。何もせず、ただ学校の勉強だけしてればいい・・・
小説の中の「僕」、つまり明るい世界の中で生きる、恵まれた気弱な少年は、その小さな心の中にある一つの疑問を育んでいきます。
そのように「大人たち」の言うことに対してただただ従順に生きていった結果、おれはどういう大人になるのだろう?
きっと、同じように子供に対して「正しいこと」のみを説いて憚らないような、そういう大人になるのだろう。
そして、彼は心の中に軽蔑を抱きます。
明るい世界の中でのうのうと手足を伸ばし、まるで自分自身がこの世の大正解であるような顔をして「正しさ」を説く、無知な大人たちを、思いっきり罵ってやりたくなるような、そんな感情。
しかし、彼は同時に気づいています。
そのような大人になることが、一番正しく、そして楽に生きる方法なのかもしれない。「正しい生き方」というものを否定して生きるのは非常に大きな危険が伴う。そして、何よりも孤独である。
少年はこれからどのように成長していくのでしょう。
これからも一緒に追っていきたいと思います。