「夢十夜」から、こんな物語を考えてみました。(第一夜)

ーーーこういうふうに考えてみた。

時は明治時代。とある乙女が(あるいは青年が)、自らの小さな心の中に、あふれんばかりの苦しい思いを抱えていた。SNSも無い時代、なんとかしてこの苦しみを表に出したい。しかし、周りの人間は誰も理解してくれない。苦しい。誰か分かってくれる人はいないものか。乙女は暗闇の中で目を瞑り、天に向かって祈った。「どうか私のこの思いが、どなたでもいい。誰かに伝わりますように。」

同じころ、書斎でこっくりこくりと居眠りをしている文豪がいた。彼はとても不思議な夢を見ている。あれ?これはいったい誰の体験だろう?誰かの苦しい思いが、私にこれを世に出してくれとせがんでいる。これは書かなければならない。彼は急いでペンを執った。

文豪の名は、夏目漱石といった。ーーー

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夢十夜

夢十夜

 

 

夢十夜「第一夜」から。とある乙女の物語。

ある乙女がいた。その乙女は、ある青年と深い恋慕を結んでいた。2人のきずなは深く、彼女たちは幼い時からお互いが結ばれるものと信じて疑わなかった。

しかし、不幸というものはどうしてどうして、突然に訪れるものである。その乙女の家に不幸が起こり、ほとんどの財産を失ってしまったのだ。彼女は口減らしのため、そして失った財産を補填するために遊郭に売り飛ばされることになった。

当時の風習では、女は売り出される前に処女喪失をうけなければならなかった。乙女は泣く泣く、村の長老にその身を任せることになった。真っ暗な明治の村の夜に、ランプの灯りが煌煌と輝く奥の部屋で、乙女は処女を失うことになった。

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とうとう初夜の日がやってきた。その日の夕方、乙女は親の目を盗み、あの青年と密会した。

乙女は青年の目をまっすぐに見つめると、こう言った。

「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って。(中略)また逢いに来ますから。」(夏目漱石夢十夜 第一夜」より)

死とはすなわち、処女喪失である。

乙女が死んだ夜、長老がまぐわいの後の疲れで眠りこけている隙に、彼女は奥の部屋から抜け出した。青年との約束の場所に急いだ。青年は寂しさと悦びの入り混じった顔をして、乙女をきつく抱擁した。

彼は真珠貝で穴を掘った。この真珠貝とはすなわち女性器のことであり、穴を掘るとは性の接合のことである。

「土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。」(夏目漱石夢十夜 第一夜」より)

彼らの愛の時間は、それはそれは激しいものだったのだろう。彼らは「土をすくった」のである。きっと月の光の下で静かに、そして激しく二人は逢瀬を遂げたのだろう。乙女のなめらかな女性器は、運動のたびに月の光を反射してきらきら光った。

青年は、乙女が自分のもとに帰ってくるよう祈りを込めて、その身体にしるしをつけた。彼女は明日売り出される。これからあらゆる男と肌を重ねることになるだろう。そうすれば、そのしるしは薄くなっていくだろう。

「それから星の欠片の落ちたのを拾ってきて、かろく土の上に乗せた。(中略)長い間大空を落ちている間に、角が取れて丸くなったんだろう。」(夏目漱石夢十夜 第一夜」より)

夜が明けた。乙女は青年のもとを去っていった。彼女は一度も振り返らなかった。彼は、「また逢いに来ますから」という乙女の一言だけを拠り所にしてこれからも生きていかなければならない。

彼は待ち続けた。

乙女を待っている間も、毎日のように陽は昇り、そして沈んでいった。青年は陽が動いていくのを見ながら、そのあふれんばかりの光に、初めて彼女を抱いたときの、あんなに近くで見た彼女の瞳孔の輝きを思い出したりした。そして一日、また一日と陽が過ぎ去ってゆく。

「自分はこう云う風に一つ二つと勘定していくうちに、紅い日をいくつ見たか分からない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越していった。」(夏目漱石夢十夜 第一夜」より)

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彼女が帰ってきたのは、青年にとって百年を感じさせるほど、たしかに長い期間を経た後だったに違いない。

彼女は自分のもとへ歩み寄ってくる。長い間男に身体を売り続けていても、青年に百合の花を感じさせるほど、乙女は白くきめ細かい、なめらかな肌を保っていた。男は初めて女を抱いた夜を思い出した。まだうら若い生娘のしっとりとした肌。ねっとりとした女の汗のにおいが、服を脱がせたときに青年の鼻をくすぐったものだった。あの時の女の匂いが一瞬だけ青年のまわりに香ったような気がした。だがそれは幻嗅だろう。彼女はもう、清純な身ではないのだ。ところが、乙女が目の前にあらわれ、青年のことをじっと眺めた時、あの時の変わらぬ匂い、むっとするような女の汗のにおいが確かに彼の鼻に届いた。彼は懐かしさに咽び泣いた。彼の涙は乙女の唇の上に落ちた。唇は露をうけてプルプルと震えた。それは果たして青年の露を反射して震えているのか、感動のあまり乙女が唇を震わせているのか・・・誰も分かりはしまい。

思わず青年は乙女の唇を吸った。唇は冷たい蛭のようにねっとりとしていた。そして、青年のかさかさした唇に永遠の潤いを与えた。唇を合わせてどのくらい時間がたったのだろう。2人が顔を離して空を見上げた時、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ輝いていた。

「百年はもう来ていたんだな。」