うつ病は根性では治せない。アラン「幸福論」に反論。

ーーーフランスの新聞に長年掲載されてきた幸福に関する論文。哲学者アラン「幸福論」では、いまも世界中で謳われているような「憂鬱」や「悲しみ」に対する根性論的な解決策を説いている。

彼ははたして本当にうつ病に罹ったことがあるのだろうか?もしくは、実際に目の前で憂鬱気分に苦しむ患者さんを見たことがあるのだろうか?やはり疑問が残る。

今回は、彼の根性論的な精神疾患への対処法について、断乎として反論します。ーーー

憂鬱について(アラン「幸福論」より)

深い悲しみはいつも、身体が病んでいることから出てくる。心の悲しみは病気ではない限り、やがて平安が訪れる。しかし、人はたいていそうは思わない。不幸がつらいのは自分の心が不幸をどうしても考えてしまうからだ、と言い張っている。

憂鬱症と言われる人のことを考えてみよう。あの人たちはどんな考えに対しても悲しい理由をちゃんと見つけてしまうだろう。何を言われても傷ついてしまう。彼らを慰めれば、侮辱されたと思い、救われがたい不幸のように思ってしまう。何も文句を言われないと、今度はもう自分には友達はいないのだ、この世で独りぼっちなのだ、などと思い込む。こうして、考えれば考えるほど病み患っているその不快感をかきたてるだけである。彼らはただ、悲しみの味を賞味しているだけだ。痛みがますますひどくなるのは、おそらく、痛みについてあれこれ思惟をめぐらすからであろう。言うならば、痛い部分に手で触れているからだろう。

このような状態に陥らないためには、こう自分に言い聞かせたらいいのだ。

「悲しみなんて、病気にすぎない。だから、病気を我慢するように我慢したらいいのだ。そんなに、なぜ病気になったのかとか、あれこれ考えないで。」

心の悲しみをお腹の痛みのように考えるのだ。そうすれば、憂鬱はもう何とも言わない。まるで茫然自失状態で、ほとんど何も感じないようになる。もう何事をも責めない。耐えているだけだ。こうして悲しみを相手にふさわしい戦いをするのだ。一種の想像力の「アヘン」を投与することによって、人間の不幸をあれこれ数える愚かさから免れることかできる。

 

反論ーやっぱり、苦しむ人の身になった解決法をー

結論から言います。

この本の著者はものすごく健康な人だった。

彼は多くの健康な人々と同じように、彼には実際にうつ病や躁鬱で苦しむ患者さんの気持ちは分からなかった。自分が時々陥るような「気分的な憂鬱」がひどくなったもの、というふうに精神疾患を誤解しているのではないでしょうか。

たしかに、「病気の痛みをこらえるように悲しみをこらえる」ことは、憂鬱な気分に対する一つの完璧な対処法でしょう。

ただ、著者はある一つの事実から目を背けています。

それは、「本当にうつ病に苦しむ方は、憂鬱から目を背けることさえ許されない」ということです。

実際にうつ病患者さんを1年間追跡研究したデータがあります。

治療を行わず自然経過を研究した報告によると、1年後には40%が寛解に至り、20%が部分的な反応を示し、残る40%は依然として抑うつエピソードの状態であったとされる。 一方、抗うつ薬による治療を行うと、どの抗うつ薬であっても約50~ 70%が反応を示す。8週間の治療によって、反応した患者の約2/3が寛解に至る。寛解に至らなかった患者も、他の抗うつ薬への変更や炭酸リチウムなどの付加、電気けいれん療法などによって、寛解に至る例も多い。しかし、約10%は複数のうつ病治療でも十分な効果が得られないと考えられている。(尾崎紀夫・三村将ほか「標準精神医学 第7版」2018 p362)

このデータが示すものは、「一部の方は憂鬱から目を背けることができる。しかし、どうしてもそれができない患者さんも確かにいる」ということです。

考えてみましょう。

さっき著者は「お腹の痛みのように悲しみを我慢すればいいのだ」と言っていました。それでは、そのお腹の痛みが、まるで我慢できないくらい激烈なものだった、と考えてみましょう。

お腹が痛い。とにかくお腹が痛い。でも我慢しなきゃいけない。お腹の痛みを忘れなきゃいけない。好きな映画でも見るか。だめだ、痛みで目がかすんできた。運動でもしなきゃ。だめだ、もうほんとに一歩も動けない。もう寝てしまおう。だめだ、こんなに痛かったら寝られるはずはない。それでも我慢しなきゃいけない。痛みを忘れなきゃいけない。さらなる痛みを自分に加えて何とかして忘れよう。ほっぺたをつねる。頭を打ち付ける。だめだ、それでもやっぱり我慢できない・・・

もうさっさと救急車呼べよ、と思ってしまいませんか?

つまり、うつ病も、ほかの身体的な病気と同じように様々な原因があり、人により症状の重さも違うので、一概に「憂鬱から目を背ければ勝てる!」なんて言うのはきわめて危険である。健康な人のポジショントークに過ぎない、ということです。

やっぱり無理せずに医療の力を借りるのが一番だと思います。さっきの猛烈なお腹の痛みに耐えていた人も、病院に運ばれて痛み止めを打ってもらってやっと救われます。精神的な痛みについても同じです。うつ病もそれでいいのです。自分で何とかできなかったら、他人に迷惑をかけてでも、「体に悪い」だのいろいろ言われている抗精神病薬を飲んででも、なんとかしてつらい心の痛みを麻痺させてもらうのが絶対に一番です。最悪のシナリオに陥る前に。

「根性」も「我慢」も結構ですが、身体も心も健康なうちだけです。